吟遊詩人(The Intrusive Authour)
吟遊詩人とは
吟遊詩人とは筆者が直接読者に語りかける用法のこと
その技法にはどのような効果があるのだろうか
それは読み手に与える影響 [breaking frame]「枠組みの破壊」と関係がある。
作品の中の世界の外に筆者がいて、その幻想を崩してくる、つまりは作り物だということに気づかせてくるのだ。
しばしば吟遊詩人はanonymous(無色透明な語り手)とも呼ばれ、読者にとって押しつけがましく説教くさいような印象を与えてしまうので、かつては多くの作品において使われていたが、18~19世紀にかけて衰退していってしまった。
この技法を用いる作品の中に「グレートギャツビー」があると思う。
この作品の中に
悶々とした気持ち
私の今の状況
自分は今塾講師のアルバイトをしている。なぜ塾講師のアルバイトをしてみようかと思ったのか、それは教師というものに昔から憧れの気持ちを持っていたからだ。
無事に採用試験と面接に受かって去年の9月頃から研修が始まり、1ヶ月後くらいから本格的に講師として働き始めた。
人間、最初のうちはあたふたしてしまうが、1ヶ月も経てばなんでもよく「慣れ」だとうように徐々に先生らしくなり、そんな自分に少し自信を感じ始めていた。
しかし、そうした中でも自分はいつも大きな劣等感を持ち仕事をしていた。というのも、自分は高校受験に失敗し、学校推薦で大学に入ったという過去があるからだ。
自分は受験に成功したことがない。なのに偉そうに授業をしている、その事実が自分の心を痛めつけた。(自業自得)
そして、その事実が今、自分に大きな問題へと生まれ変わって襲ってくる。本当に病みかけている。
なぜそんなことになってしまったのかというと高校生の授業を受け持つことになってしまったからだ。
自分が担当している教科は主に英語で中学生を教える際には自信を持って教えられていた。しかし、受験英語を知らない僕は高校生をろくに指導できる能力をもっていない。
実は、自分は高校生を教えることはできないと塾長に伝えていたのだが、面接時に英検準1級を持っているとプロフィールに書いてしまったことによって「高校生もいけるっしょ?」といわれてしまい、「いやー厳しいです」なんて感じで軽く拒否していたものの、遂に受け持つことになってしまった。
この前はちょうどその生徒との授業があったのだが、上手く進行できず、「これはどういくことですか」と質問されたときにうまく答えられなくて本当に自分が情けなかった。
そして授業が終わり罪悪感をずっと感じ続けている、というか犯罪をしてる気分だ。お金をもらっているのにこんなへっぽこ指導しかできなくて泣きそうになっている自分がいる。楽しいことも無となる。普段なら楽しい土日ともしばらくはおさらばになってしまうのかもしれない。
早く、なんとしてもこの状況を改善したい。そうでないと生徒に相当申し訳ない。
今週、契約更新面談がある。塾長は思慮深く、人思いな方なので、今の思いを正直に伝えてみる。
未来がよくなりますように…